Derek Loh — TOKYO POWDERと歩んできた道
僕とTOKYO POWDERとの旅が始まったのは、2015年の終わり頃。シンガポールのOnsight Climbing Gymで働き始めたときでした。
当時の僕は若く、情熱だけはありましたが、ルートセットについても、クライミング業界そのものについても、知識も経験もほとんどありませんでした。それまで5年ほど趣味としてクライミングをしていただけで、僕がこの業界に惹かれたのは、その「内側」がどうなっているのかを知りたかったからです。
ルートはどうやって作られるのか。クライミングジムはどうやって動いているのか。
Onsightでポジションが空いたとき、思い切ってマレーシアからシンガポールへ行き、ジムのショップ業務と、見習いルートセッターとして働き始めました。
正直に言えば、最初は自分が何をやっているのかすら、よくわかっていませんでした。そして今でも、知れば知るほど、自分は何も知らなかったのだと感じます。
最初のTOKYO POWDER
クライミングを始めた頃、そしてOnsightで働き始めた頃、僕はMetoliusのクライミングチョークを使っていました。当時、多くのクライミングジムで定番だったチョークで、僕の好みにも合っていました。
後になって知ったのですが、Mitsuo-sanも最初はMetoliusのチョークを使っていて、そこから、より安定した感触と性能を持つチョークを作ろうとしてTOKYO POWDERを立ち上げたそうです。
今なら、それは間違いなく成功したと言えると思います。しかし、Onsightでショップの仕事を始めた当初、僕はTOKYO POWDERに対して少し懐疑的でした。
「なぜ他のチョークより、こんなに高いんだろう?」
「これをどうやってお客さんに勧めればいいんだろう?」
そんな僕の考えを変えた出来事がありました。あるとき、僕はひとつの課題に取り組んでいました。インドアです――そう、冒涜ですね! でも忘れないでください。シンガポールには小さな岩場がひとつしかないんです。
どうやっても、あるムーブが止まりませんでした。すると友人が「俺のチョークを使ってみたら?」と言いました。借りて使ってみると、まるで魔法のように、それまでどうしても止まらなかったスローパーが、突然ずっと持ちやすく感じられました。
そのチョークが、TOKYO POWDERでした。
それ以来、僕はすっかり虜になりました。

当時はジムのショップ業務の一環として、TOKYO POWDERの広告も作っていました。企業ロゴのパロディが流行っていた時代で――今ではなかなかできないことですが――Asahi Super Dryのロゴを使ったTOKYO POWDERのパロディ広告を作ったことを今でも覚えています。
その一方で、毎週ロープとボルダーのセットを行い、いくつかのローカルコンペでも経験を積んでいきました。
2016 — 初めて一緒にセットする
2016年。何カ月もの間、メッセージやメールだけでやり取りをしていたMitsuo-sanと、ついに直接会うことになりました。
彼は「Pumpfest」というシンガポールのローカルコンペに、ルートセッターとして招待されていました。
僕もそのコンペのセットに参加し、Mitsuo-san、そしてオーダーメイドのチョークバッグブランドeyecandyのIvan Tokumoriと一緒に仕事をする機会に恵まれました。その一部始終を撮影していたのが、日本を拠点に活動するROLLFILMのTakeshi-Sanでした。
当時の僕は、若くて、ちょっとオタクっぽくて、Black Diamondのチョークバッグを3つ縫い合わせて作った自作のツールベルトを腰に巻いてたのを覚えています。
Mitsuo-sanやIvanと一緒にセットした経験は、僕にとって大きな転機になりました。
それまでとは違う考え方。仕事の進め方。細部へのこだわり。そして、自分の知らなかったたくさんのムーブ。
もっと上手くなりたい。
いつか彼らのように仕事ができるようになりたいと思いました。

Singapore, 2016. Pumpfestで初めて一緒にルートセットをした僕とMitsuo-San。
No route setter is an island.
それから数年後。
僕はOnsightのルートセットを任されるようになり、いくつかのローカルコンペではヘッドセッターも務めるようになっていました。
そんなとき、日本のMabooで開催されたルートセットワークショップに参加する機会を得ました。講師はTondé、Travis Kemp、そしてMitsuo-san。
そのワークショップで僕が最も強く持ち帰った言葉は、
“No route setter is an island.”
――ルートセッターは、ひとりでは成り立たない。
というものでした。
そして僕にとって、それ以上に興味深かったのは、ワークショップが終わった後の出来事でした。
Mitsuo-sanと、ルートセットとホールド選びについて話す機会があったのです。
当時MabooのセッターだったShun Kaidoは、学びの一環として半年間シンガポールに滞在していて、僕には、彼のセットを見ながらずっと不思議に思っていたことがありました。
Shunはホールドボックスの中を延々と探して、かなり時間をかけて「ある特定のホールド」を見つけようとするのです。僕から見れば、似たようなホールドはいくらでもありました。
なぜ、そこまでしてそのホールドを探すんだろう?
Mitsuo-sanは、その理由を2時間にわたって僕に説明してくれました。
なぜ、そのホールドを選ぶのか。似ているように見えるホールドが根本的にどう違うのか。そして、それぞれをどう使うのか。
それは再び、僕にとって大きな転機になりました。

Shun-Kaidoと僕。ルートセットやホールドについての会話は、ジムの外でも続きました。
Transend 2017
数カ月後、Mitsuo-sanはShunと一緒に、別のローカルコンペ「Transend 2017」のセットのため、再びシンガポールへやって来ました。
今度は僕がチーフルートセッターでした。
僕はMitsuo-sanに、決勝用のミラーボルダーのセットをお願いしました。

Transend 2017。決勝のためにセットされたミラーボルダー。
これもまた、大きな学びになりました。
準決勝では、僕自身の判断で少しやりすぎてしまいました。幸い、決勝は素晴らしいショーになりました。Mitsuo-sanをはじめ、セットチームのみんなのおかげです。
コンペが終わった後、Mitsuo-sanから、もう一度日本に来ないかと誘われました。彼の師匠であるShogo Murookaのもとで、クライミングの基礎についてもっと学んでみないか、と。
もちろん、僕は「行きます」と答えました。
とはいえ、かなり不安でもありました。
ちょうど同じ頃、僕はOnsightを辞めることを決めていました。そして再び、日本行きの飛行機に乗ることになりました。
日本で、もう一度「基礎」から
日本に到着すると、Mitsuo-sanはまず僕をGrappa、Vert、そしてMabooでのセットに連れて行ってくれました。
あの日々のことは、今でも鮮明に覚えています。2年間ルートセットをやってきたにもかかわらず、自分がどれほど何も知らなかったのかを思い知らされました。
その後の数週間、僕は八王子にあるShogo-sanのジム「Rock Beans」で生活しながら、クライミングの基礎を学びました。

後日、台湾のホテルでのShogoさんと何か大事な話をしている時の写真。
Rock Beansでの生活ではみっちりと基礎の大切さを学ぶことができました。
同じボルダーを、何度も何度も繰り返す。自分で課題を作れば、そのたびに頭を抱える。ひとつの課題を、壁に残せる水準まで仕上げるために、何日もかかることさえありました。
Rock Beansは、トレーニングのためのジムです。
そこにあるひとつひとつの課題は、クライミングの確かな基礎を作る「トレーニング課題とは何か」を突き詰めたものだと僕は思っています。
手をどこに置くのか。足をどこに置くのか。どのホールドを選ぶのか。
そのすべてが、驚くほど深く考え抜かれています。
中には何年もの間、壁に残り続けている課題もあります。それ自体が、その課題の質を証明しています。まるで岩のように、それらの課題はジムとShogo-sanのアイデンティティの一部になり、挑もうとする人たちにとっての「テストピース」になっているのです。
本当にすごいことです。

日本でのクライミング。この滞在は、僕にとってルートセットだけでなく、クライミングそのものをもう一度見つめ直す時間になった。
TOKYO POWDERへ
日本へ滞在中、僕はMitsuo-sanやShogo-sanと何時間も話をしました。
その時間が、今の僕のルートセットのスタイルを形作る大きな助けになっています。
あるとき僕はMitsuo-sanに、
「TOKYO POWDERにサポートされるフリーランスのルートセッターになるには、どうしたらいいですか?」と尋ねました。
まさか、その質問が、現在僕がTOKYO POWDERでやっている仕事につながっていくとは、そのときは知る由もありませんでした。
彼からのアドバイスは、
「自分にとって意味のある道を選んで、その先に何があるか見てみればいい」
というものでした。
日本での滞在を終えた後、僕は一時的にマレーシアへ戻り、その後タイへ渡りました。2018年のジャカルタ・パレンバン アジア競技大会に向けて、タイ代表チームのサポートをするためです。
その頃、Mitsuo-sanからTOKYO POWDERのInternational Market Managerとして働かないか、と声をかけてもらいました。
僕は喜んで、そのオファーを受けました。
一袋のチョークの向こう側
TOKYO POWDERが大切にしているのは、情熱を持った人たちが、本当に質の高いものを作ることです。
すべての製品には、それぞれ作る理由があります。そして工場を出ていく製品の中に、人の手に触れずに完成するものはひとつもありません。
実際、僕が工場でチームと一緒にチョークを作っていたときに知って驚いたことがあります。
SPEEDとEFFECTのすべてのパッケージに書かれている文字は、ひとつひとつ手書きなのです。今でもこの小さなディテールには驚かされます。知っている人がほとんどいない、小さな「イースターエッグ」のようなものです。
工場で実際にチョークを作ったことで、一袋のチョークを作るためにどれほどの手間がかかっているのかを、改めて理解することができました。
粉を袋に詰め替えてラベルを貼るだけのブランドもあるかもしれません。でもTOKYO POWDERの工場から出ていくすべての袋、すべてのボトルは、ひとつひとつ時間をかけて加工され、手作業で詰め、封をしています。
そして、そのほとんどをチームの中のたった2人で作っています。
機械化できる時代に、こんなことを続けているのは馬鹿げているように見えるかもしれません。特に、僕たちの製品への需要がこれほど大きくなった今では、なおさらです。
でも実際には、TOKYO POWDERの製品の多くは非常に摩擦が大きく、一般的な工場設備で混ぜたり移動させたりしようとすると、機械そのものを壊しかねないほどなのです。
More than chalk.
僕にとってTOKYO POWDERは、単なるチョークや道具のブランドではありません。
プロジェクトを完登するための道具であるだけでなく、人と人との会話や、関係を生み出すための道具でもあります。
そして、良い完登がいつもそうであるように――
時間と努力をかけて待つ価値のあるものもあります。
TOKYO POWDERに加わってからの僕の旅は、アジア各国へ出向き、クライミングやルートセット、そして僕たちの製品への情熱を伝える、たくさんの機会を与えてくれました。
さらに遠い地域から来た人たちとも出会うことができました。
ときには、自分にとって決して居心地がいいとは言えない状況に置かれることもありました。でも、そうした経験が新しい世界を見せてくれ、自分自身についても多くのことを教えてくれました。
そこで生まれた人とのつながりや会話が、TOKYO POWDERでの自分の役割を、さらに先へ進めていく原動力になっています。
TOKYO POWDERが、僕の人生やクライミングにちょっとした「魔法」をもたらしてくれたように。
僕たちの製品を手にした皆さんにも、そこから何か小さな魔法や会話が生まれ、それがまだ歩いたことのない道へ進むきっかけになればと思っています。
Derek Loh

現在はトレイルランニングにも取り組んでいます。